総合的な探究の時間の試行期間が始まって9カ月。探究活動の成果や課題が明らかになり、次年度に向けての取り組みを模索している頃でしょう。中には教材を検討している学校もあるかもしれません。
そこで今回から複数回にわたって、同教材の設計開発責任者である神原洋子氏にインタビューを敢行。第1回目のテーマは、「社会から見た、探究活動の必要性」。教材開発の経緯や社会の変化、新学習指導要領の狙いなどを聞きました。

株式会社トモノカイ
探究教材設計開発責任者
神原洋子(かんばら・ようこ)
京都大学総合人間学部入学、教員を目指す。教職に就く前に社会人経験を積むため、卒業後は総合商社へ入社。学校で学ぶことと社会で必要とされることのギャップを感じ、2016年から教育事業を手掛ける株式会社トモノカイへ。探究教材の設計開発の責任者として、学校教育のサポートに携わる。
先生と一緒に作り上げた『一生使える探究のコツ』
――『一生使える探究のコツ』は、どのような経緯で開発されたのでしょうか?
私自身が社会人として活動する中で、学校で養われる力と社会で必要とされる力との間にギャップを感じたことがきっかけです。
学校では、答えが一つである与えられた問題を、自分一人の頭だけで何も使わずに、答える力が求められています。一方社会で求められているのは、自分で問題を見つけ、周囲と協働しながら、インターネットなどさまざまなツールを駆使して最適解を導き出す力。
現在、このギャップを埋めるために多くの企業では、新入社員教育やOJT(※)を通じて実社会で必要な力を養っています。ただ企業にとって新人育成は大きな負荷ですし、変化の激しいこれからの時代において現状の学校教育のままでは限界がある。

そこで、鍵となるのが「探究」です。探究とは、生徒が主体的に問いを立て、必要な情報を集め、時に他者と協働しながら、収集した情報を整理・分析して、意見や気付きなどをまとめ、発表する活動のこと。
私はこの探究活動こそ、まさに、社会で生きる力を養う教育だと感じました。だから、従来型の教育から探究型の教育への転換をサポートするために、教材の開発に着手したのです。
※On-the-Job Training(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の略称。実務を通じて業務を教える教育法を指す
――さまざまな手段がある中で、なぜ「教材」という形式にしたのでしょうか?
端的に言うと、全国の学校でより質の高い探究活動を行えるようにするためです。
先生方に現場の課題を伺う中で知ったのが、探究活動のステップの不明瞭さと自由度の高さが原因となって、多くの学校で効果的な取り組みができていないこと。また、同じ学校内の先生の間でも探究に対するモチベーションや認識に差があり、指導にバラつきが生まれていることです。
こうした現状を打破するには、探究のステップを体系化して広め、誰もが実践できるようにする必要がありました。それを実現するための一つの手段として、教材という形式に辿り着きました。
――『一生使える探究のコツ』は、探究活動の方針を示すガイドラインなんですね。今回、制作にあたって、多くの先生方からご意見をいただいたと伺いました。
そうですね。教材は単に分かりやすいだけでは意味がなく、現場でしっかりと機能するものでなければなりません。そのため、100人以上の先生方に探究活動の課題を伺い、さまざまな学校で教材の運用テストにご協力いただきながら、試行錯誤を重ねました。
さらに、探究の第一人者である國學院大学人間開発学部初等教育学科教授の田村学先生と、国立教育政策研究所名誉所員であり、日本体育大学大学院教育学研究科長の角屋重樹先生に監修いただくことで、エビデンスに則った質の高い教材を作ることができました。
ですので、『一生使える探究のコツ』は先生方と一緒に作り上げた教材なんです。この教材には、私だけでなく多くの先生方の「学校での学びをより良いものしたい」という想いが詰まっています。

社会の変化に見る、探究の必要性とは?
――そもそも探究が必要とされる社会的な背景には、どのようなものがあるのでしょうか?
グローバリゼーションの進行とテクノロジーの発達が原動力となって、仕事のあり方が急速に変化していることが挙げられます。
大きく分けて仕事には、いわゆるブルーカラーと呼ばれる肉体を使った労働、与えられたタスクをこなしていくルーティン作業、クリエイティブな発想で新たな価値を生む業務の3パターンがあります。
今後AIが台頭すれば、定型化した作業はますます自動化・機械化されていくでしょう。最終的に私たちに残されるのは、クリエイティブな発想が求められる仕事だけになります。
――一方で、学校では定型化した作業をこなせる人間を育成し続けている。そのため、学校と社会のギャップが広がっている、と。
はい。高度経済成長期ではそうした教育は効果的だったのですが、現在は機能しなくなってきています。これからの社会の変化を考えると、今このタイミングで学校教育を変えなければ、取り返しが付かなくなってしまうでしょう。
特に学校と社会のギャップを広げる要因となっているのは、以下の3つのの欠如だと考えています。
1つ目は、目的意識。仕事はもちろん、あらゆる行為には目的が伴うものです。その目的を考える習慣がないと、規則や形式にとらわれて、言われたことだけをやる人間になってしまいます。また、目的に応じてITを活用するスキルは一層必要になっていくでしょう。
2つ目は、相手への意識。ひとりで黙々と進める学習の中では、他者への意識は育みにくい。しかし、仕事においてはお客様や一緒に仕事をする仲間への意識を持つことは不可欠です。特にグローバル化する社会においては、多様な価値観を持つ人と協働し、課題を解決していく姿勢は欠かせません。
3つ目は、主体性。自分から問いを生み出せるか、課題解決に向けて創意工夫ができるかなど、社会ではいろんな場面で主体性は問われます。

1つ、主体性について私が印象的だった出来事をお話ししましょう。
若者の現状を探ろうと大学生100人にインタビュー調査をした際、「将来どうしたいですか? 就活のことを考えていますか?」と質問したところ、「全然考えていません。だって3年生になれば、大学が就活セミナーをやってくれるじゃないですか」「やりたいこと特にないけど社会に出たくないので、とりあえず研究室行きます」などと答える学生が少なからずいたのです。主体性の欠如は、キャリア形成にも大きな影を落とします。
学校と社会との溝は目的意識、相手意識、主体性の3つの力の欠如により、今後ますます広がっていくでしょう。
だからこそ、探究活動を通じて、目的を定め、他者と協働しながら、主体的に考えて行動する姿勢を身につけることが重要なのです。また、活動の過程でインターネットを駆使した情報収集活用能力や、限られた時間で最良のパフォーマンスを出せる時間管理のスキルも身につける狙いもあります。
教育の変遷に見る、文科省の狙い
――これまで学習指導要領で「総合的な“学習”の時間」として実施されてきた科目が、2019年度から1年生への移行措置で「総合的な“探究”の時間」と名称を変えて導入されるようになりました。加えて、2022年度から「理数探究」や「古典探究」などの探究科目も実施されます。この教育改革の流れは、これまで解説いただいた社会の変化を受けてのものなのでしょうか?

そうですね。文科省もずっと前から問題意識を感じていたようで、1990年代のバブル崩壊のタイミングで教育改革へと舵を切りました。そこで設けられたのが、「総合的な学習の時間」です。
導入当初は教科横断的・総合的な活動を通して、教科で学習したことを生活や社会の中でどう使うのか、理解を深める場として設計されました。後の学習指導要領の改訂時には、探究的な学びを重視するようにも明記されました。
しかし、取り組みのモデルや成績評価がなく、実施内容は現場に任されていたため、その本質的な意義への理解は広がりませんでした。結果、多くの高校では学校行事の準備や補習の時間として使われ、形骸化してしまったのです。
今回、探究に関する授業を導入したのは、より明確に探究的な学びの意義を広げて、実施していくためです。
――「総合的な学習の時間」は、ゆとり教育の一環として2002年度から小中高校で順次導入されました。しかし、ゆとり教育は批判の対象となり、2011年度からは脱ゆとり教育が進みました。その背景を教えてください。
ゆとり教育を導入した文科省には、このまま詰め込み型の教育を続ければ、時代から取り残されてしまうという危機感がありました。そこで学習量を減らし、時間をかけて深く物事を考える教育に変えていこうとした。
しかし、マスメディアや塾産業を中心に、ゆとり教育による学力低下が叫ばれました。「円周率を3.14ではなく、3で覚えさせている!」など、本質的なゆとり教育の意図を無視して、形式上の変化のみ注目して騒ぎ立てたのです。
これにより、「やはり学習量は必要だ」という社会的な揺り戻しがありました。
――ゆとり教育の本来の狙いは、教育改革が進む現在でも重要なものだったと思います。なぜ学校現場はゆとり教育が導入されても、変わらなかったのでしょうか?
学校教育が変わらなかった背景には、大学の受験制度があります。ゆとり教育の時代になっても、知識をインプットし、正確にアウトプットする大学入試の形に大きな変化はありませんでした。
現在は少子化が進み、どの高校も入学者の確保に苦戦しています。何か特徴を出さなければ、一定数の入学者数を確保できない。そうした危機感から、多くの高校が国公立大学や有名私立大学への合格実績を掲げることに躍起になりました。学歴重視の社会において、「大学合格実績」は非常にわかりやすい魅力ですから。
そのため、「じっくり考えるゆとりのある学びの時間」であったはずの「総合的な学習の時間」は、「受験対策の時間」へと当てられるようになってしまったのです。

――大学受験が変わらなければ、学校教育も変わらない?
はい。だからこそ、今回文科省は大規模な大学入試改革を打ち出したのです。試験の仕組みを変えることで、学校教育も追随的に変える狙いがあります。
新しい大学入試では、これからの社会で役に立つ能力を身に付けた学生、すなわち、探究的な活動をした学生を評価していく流れが強くなっていくでしょう。
――新たな大学入試では、探究的な学びで得た力をどう評価するのでしょうか。
従来のセンター試験から代わった「大学入学共通テスト」では、思考力・判断力・表現力が問われる記述式の入試が導入されます。さらに、各大学では面接によって自分が取り組んできたことを語ったり、探究活動の成果物を見せたりすることが評価されていく流れが生まれつつあります。
先んじて2016年度入試から東京大学と京都大学では新しい評価方法を導入し、早稲田・慶應も続いています。こうした流れを受け、全国の国公立・私立大学も同様に面接試験の導入に向けて動き出しています。
――これから本格的に探究活動が行われるようになると、従来型の学力が低下する可能性はありませんか?
そう懸念する人は一定数います。しかし、「総合的な学習の時間」が導入された際に、その意図をきちんと汲み取って実りある活動をしてきた生徒は、従来型の学力評価の中でもよい結果を収めています。

ですので、探究活動に重きを置くことで、これからの社会に必要な能力はもちろん、従来型の基礎学力の向上にもつながり得るのです。
(取材・執筆:佐藤智 編集:野阪拓海/ノオト)